大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)2584号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、(事故の原因)

<証拠>によれば、つぎの事実が認められる。

本件事故は、昭和四三年二月一五日午前七時二〇分頃名古屋市中区老松町九丁目一番地先の交差点で発生した。現場附近の状況は、新栄町方面と鶴舞公園方面を結ぶ南北道路(中央に市電の軌道が走つている。)と丸田町交差点と千早町交差点を結ぶ東西道路(東進一方通行)が交差している。南北道路の巾員は北方に伸びる部分で14.9メートル(軌道部分を含む)南方に伸びる部分で23.7メートル(軌道部分を含む)、東西道路の巾員は15.0メートルで見透しはよく、舗装、平坦、当時は二月の早朝のこととて交通は閑散であり、雨が降つて路面は湿つていた。交通規制は時速五〇キロメートルの速度制限がされていた。この交差点には信号機が設けられており、その信号の関係はつぎのとおりであつた。

原告車に対する信号(編注、以下②信号という)

青―三一秒(そのとき被告車に対する信号(編注、以下④信号という)は赤)

黄―3.5秒(そのとき④は赤)

赤―四九秒(そのとき④は青、それから黄)

④の信号が

青―四三秒(そのとき②は赤)

黄―六秒(そのとき②は赤)

赤―34.5秒(そのとき②は青、それから黄)

原告は、普通乗用車(三菱四三年式、長さ3.65メートル、巾1.45メートル、オイル式四輪制動、乗車定員五人、当時原告一人が乗車中―以下A車という。)を運転して、南北道路を北から南へ向つて時速約三五キロメートルの速度で進行してきた。すると、前方の④の信号が黄になつたのでブレーキをかけ、横断歩道の内側の線をA車の車体が越したところで停止した。停車したときには④の信号は赤であつた。(もつとも、<証拠には、原告の供述として、横断歩道の内側の線にA車の運転台が来たときに④の信号が黄になつたというところがあるけれども、当審における原告本人尋問の結果には、「あなたが停車したときは南北の信号は赤だつたのですね。」との問に対し、「そうです。」と答えている部分があること、④の信号が黄である時間は六秒であること、A車の停止距離(空走距離+制動距離)、後記認定のようにA車が停止したとき被告近藤洋運転の自動車はすでに交差点に入つていたこと、それからA車が発進して三、四メートル動いてからA・B車が衝突し、更にそれから約三〇秒してから②の信号が黄になつたこと、②の信号が青である時間は三一秒であること、等を考え合わせると、この甲第七号証の記載部分は遽かに措信し難い。)停止した途端、原告は、右斜め前方に、それまで東西道路を東に向つて進行して来ていた大型貨物自動車(被告近藤洋運転―以下B車という。)が交差点内の約一〇乃至一五メートル先で頭部を北東に向けながら横すべりして東方に向つてくるのを発見した。これを見て、原告はこの儘では衝突すると思い、急遽ギヤーを入れて発進し左にハンドルを切つて衝突を避けようとしたが、約三、四メートル南方へ進んだところで、A車の右側面中央前部寄りのところにB車の真後ろの部分が衝突し、その衝撃でA車はほぼ一回転して11.6メートル東方の地点に頭部を北向けにして停止し、原告はA車の東側に投げ出された。

被告近藤洋は、大型貨物自動車(B車―ダンプカー、いすず四〇年式、長さ7.10メートル巾2.43メートル、積載定量七トン、当時積荷なし、オイル式四輪制動)を運転して、東西道路を西から東へ向つて時速約五〇キロメートルの速度で進行してきた。すると、前方に見える②の信号は赤であつたが、④の信号を見ることもでき、それは黄になつていたので、交差点に達するまでに②の信号は青になるであろうと考えその儘の速度で進行してきた。(もつとも、甲第一〇、一一号証には同被告の供述として、B車が衝突地点の手前約六一メートルのところへ来たときに既に②の信号が青になつたという部分があるけれども、時速五〇キロメートルの自動車が途中で急ブレーキをかけて横すべりしながら約六一メートルを進行するには五秒前後が経過する筈であること、甲第一〇号証には、同被告の供述として、A車が北側横断歩道を越してくるのを見たという部分があること、②の信号が青であるのは三一秒であること、A・B車が衝突してから②の信号が黄になるまでは約三〇秒であつたこと、等を考え合わせると、この第一〇、一一号証の記載部分は遽かに措信し難い。)しかし、車が交差点の西側横断歩道をこえる時には②の信号は同被告の予想通り青になつていた。横断歩道をこえると同時に、同被告は左前方に、A車が交差点の北側横断歩道をこえて交差点に進入してくるのを認めた。A車は南方へその儘進行するように見えたので、この儘では衝突すると思い、同被告は突嗟にハンドルを左に切ると共に急ブレーキを踏んで衝突を避けようとした。ところが、当時雨が降つていて路面が濡れていたため、B車は頭を左に振つて一回転したまま東方に滑つて行き、車体の真後ろがA車の右側面に衝突して、それから東方約一四メートルの地点にB車は頭部を西向きにして停止した。この衝突のときから約三〇秒して②の信号は青から黄に変つた。

この衝突の結果、原告は、頭部外傷、後頭部頂部挫傷、顔面挫傷、胸部及び両肝部右肩両上腕挫傷、胸骨及び右第三、四、五、六肋骨々折その他の傷害を負つた。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、本件事故は、原告の過失、即ち同人としては対面する信号が黄であるから横断歩道の直前で停止しなければならないのに(道路交通法第四条第二、四項、同法施行令第二条)これを怠つて交差点内に進入したこと、B車を見てその儘停止しておるか、後ろへバックすれば衝突は避けられたのに判断を誤つて逆に前進したことに主要な原因があるというべきであるが、他方、被告近藤洋の過失も看過することはできない。蓋し、同被告としては、むしろハンドルを右に切つて徐々にブレーキを踏めば衝突は避けられたにも拘らず、判断を誤つて逆にハンドルを左に切り(A車はそのとき停止寸前にあつた筈であるから、その速度、動向を誤りなく観察すればこのような判断の誤りは避けられたに違いないと認められる。)路面が湿つており時速五〇キロメートルで進行している大型貨物自動車が急ブレーキを踏めばスリップを起すことが予想され得るに拘らず、急ブレーキを踏んで本件衝突を惹起することになつたからである。

而して、右両者の過失の割合を勘案すれば、原告のそれが七〇%、被告近藤洋のそれが三〇%と認めるのが相当である。

二、被告石村昇三の責任根拠

原告は、被告石村昇三が自賠法第三条により本件事故によつて原告の蒙つた人的損害を賠償すべき責任があると主張する。

よつて按ずるに、本件事故を惹起したB車の登録上の所有名義人が被告石村昇三となつていることは被告の自認するところであるが、<証拠>によれば、つぎの事実が認められるので、これをもつて原告の主張を肯認することはできない。

被告石村昇三は土木建築用骨材採取販売業を営んでいる。同人は当初、自ら運転手を雇つて営業用の運送に当らせていたが、それでは運転手が仲々確保できないこと、事故が多発すること、自動車の消耗が激しいことから、傭車という方法で運送をさせるようになつた。傭車というのは、一応は被告石村昇三が自動車を買入れるが、経済的な実質上は運転手が自動車を買入れたと同じような結果をもたらそうとする方法で、被告石村昇三が自動車の販売業者と月賦払による売買契約を締結し、その代金(頭金及び月賦代金)も同被告から販売業者に支払うが、その金額は運転手が当該自動車によつて挙げた水揚代金のうちから燃料代、修理代、部品購入代等と共に同被告において差引き控除し、(不足の場合は同被告が一時立替払をし)、その残額を運転手に渡す(月賦期間終了後は右のうち月賦代金以外の右燃料代、修理代、部品購入代等を差引いて渡す。)というもので、月賦期間中は自動車の鍵も同被告が保していた。しかし、月賦期間の終了後は名実共に自動車の所有者は当該運転手であるとして、当該運転手の申出があれば登録上の所有名義を移転し、鍵は運転手に渡して自動車の管理は当該運転手に委せ、ただ傭車として使用する限り、燃料代、修理代、部品購入代等は水揚通送代から差引いて、同被告が支払つていた。

被告裵順錫は昭和三八年から約一年間被告石村昇三に雇われた純然たる運転手であつたが、昭和三九年に始めて右傭車の方法で一台の自動車を買つて貰つてから次第に自動車を増やし、昭和四一年からはいわゆるフリーとなつて石村昇三以外の者から注文される仕事もするようになり、自らも土建業、建材業を営むようになつて、昭和四三年始め頃までには多いときには一〇台程の自動車を持つようになつた。本件事故を惹起したB車は右のような方法で昭和四〇年四月一二日に二四回の月賦で愛知いすゞ自動車販売株式会社と被告石村昇三との間の契約で買受け、同被告の所有名義となつていたものである。ところが、昭和四二年四月で月賦期間が終了したので、被告石村昇三は以後は完全にこの自動車が被告裵順錫の所有であるとして同人に引渡し、その鍵も同人が貰つて同人が自動車の保管をし、同人が運転手を雇つて被告石村昇三のところの運送を前示傭車の方法で使用していた。ところが昭和四二年九月下旬を最後として被告裵順錫はこの自動車を被告石村昇三のところの運送(傭車)には使用しなくなり、従つて、その燃料代、部品代等も被告石村昇三が各支払先に支払うということもなくなり、専ら被告裵順錫の自らの土建業及び建材業等に使用していた。そしてその後昭和四三年二月一五日になつて被告裵順錫が雇つた運転手近藤洋がこのB車を運転して被告裵順錫の仕事場へ通勤する途中に本件事故が発生した。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によればB車の登録上の名義人は被告石村昇三となつていたが、少なくとも本件事故当時は、それは名義上のことだけであつて真実の所有者は被告裵順錫であり、被告石村昇三はB車を使用すべきその他の権限を有していた者でもなく、被告石村昇三のために運行されていたものではないとしなければならない。(藤井俊彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!